2005年08月06日の日記
2005年08月06日(土)
1945年8月6日8時15分。米軍のB29爆撃機『エノラ・ゲイ』が広島市上空から世界初の原子爆弾『リトルボーイ』を投下した。原爆の熱風、衝撃波により市街は壊滅し、約14万人もの人達が死にました。その後も原爆症等で亡くなられた人達を含めると犠牲者は25万人以上にもなったと言われています。
それから今日で60年。70年は新しい芽が生えることは無いと言われた広島の大地には草木が生え、広島の町を見ても原爆の跡形はほとんど無いほど(原爆ドーム等の一部を除いて)復興しています。
でも、忘れてはいけない事。伝えていかなければいけない事がたくさんあります。
だから僕はみなさんにもっと戦争の事を知っていただきたいと思っています。小さい事でいいんです。テレビで戦争の事を伝える番組をやっていれば見たり、おじいさん、おばあさんに戦争を体験された方がいらっしゃるなら、話を聞いてみる等。
僕の一番のおすすめは、中沢啓治さんの書かれた漫画の『はだしのゲン』です。僕は小学生の頃、地元の図書館で借りて何度も何度も読み返しました。もし、機会があれば読んでみてください。
中沢さん自身も広島で戦争を経験された被爆者の一人です。はだしのゲンの最初の方で出てくる『踏まれても踏まれても立派な穂をつける麦のような人になれ』という言葉は実際に中沢さんのお父さんが言われた言葉だそうです。同じくマンガの中で原爆が落ち、ゲンのお父さんやお姉さんや弟が家の下敷きになり火の手がせまり目の前で焼け死んでしまうシーンがあります。それも中沢さんが経験された事だそうです。
もう一つ、マンガの中でゲンの母親が亡くなり火葬をしたところ、骨が無い。原爆は、ピカは母親の骨すらも持って行ってしまったというシーン。これも実際にあったことだそうです。
戦争とは原爆とはそういうものです。もし、興味を持たれた方は読んでみてください。そして、広島に行く事があれば、原爆ドーム、原爆資料館へ行って見てください。戦争と原爆の悲惨さを。
広島出身の僕からの、みなさんへのお願いと、メッセージです。
昨日、操体を初めて体感しました。それは衝撃的でした。うまく説明はできませんが、僕が感じたのは、人間がもともと持っている感覚や機能をもとの状態にしてくださって、自然にいくように整えてくれる。そういう感じでした。かといって、ボキボキとかするわけでもなくマッサージとも違いました。
具体的には、まず、立った状態で体をリラックスさせ体をぐにゃぐにゃしながら手をブラブラさせました。それから自然に手を降ろします。正常な人は手が体にくっつくのですが、僕の場合は手が体から10センチくらい離れてました。そして自然に両手を前で合わせるとけっこう右にズレてました。それを正すのにベットに転がり先生が足の指を一本ずつまわし、なんだかんだとやっていただくと、立って同じようにブラブラして手を降ろすとなんと体に手が自然に付きました。両手も自然と中心で合わさりました。
その後、腰、股間節の歪みや、足の筋肉、背中等色々とやっていただきました。すごいのがスグ結果が現れ、その部分部分の感覚がやっていただく前と後では全然違うということなんです。僕自身、身を持って体感して驚きました。色々やっていただいた後は体中が心地良く、すごく自然で滑らかな体、筋肉の動きになっているように思えました。また行きたいと思いました。
僕はすごく操体にすごく興味を持ちました。僕を診てくださった青木先生のホームページに書いてあった文を下記に載せさせていただきますので、興味のある方は長いですが読んでみてくださいね。結構おもしろいですよ!!
/////////////////////////////////////////
「操体」…「そうたい」と読みます。体操ではありません。とりあえずどのようなモノか、知っている方もおられるでしょうが、知らない方にとっては操体を体系された故橋本敬三医師の残された数冊の著書の内「からだの設計にミスはない」(たにぐち書店)を是非読んでいただきたいと思います。
さて、操体は「操体法」として全国に広まっておりますが、「法」と付いているせいでしょうか、「手技療法的テクニック」と誤解されているところが多大にあります。ちなみに操体法の法は「法則」の法です。この世は絶妙なバランス現象によって成り、そして生命はそのバランスの法則の下に生かされており、人間も例外ではないということを述べています。その観点から医師である橋本先生は疾患の根源に身体の「歪-わい-」を見出し、そして「歪-わい-」の現象の発生を調べていくうちに得られたのが「息」「食」「動」「想」という「誰も肩代わりしてくれない4つの自己責任生活行為」のバランスの在り方でした 。
また、さらに人は「環境」との対外的バランス関係もあり、そこから「息・食・動・想+環境」という生体における総合的なバランスの在り方を示唆し、医学会に唱えていきました。尚、操体でいう「歪-わい-」の現象は整体やカイロプラクティック等でいうところの「歪み-ゆがみ-」とは意味を異にします。操体では「歪み-ヒズミ-」と言い、そのヒズミをけっして悪いモノという意味では用いません。操体では「不自然の自然」という言葉があります。ヒズミもまたバランス現象の姿であり、ヒズませることによって身体のバランスを保っていることも認めています。よって不自然な身体の形態であっても「体がまにあっていればそれはそれでいい」と云う思想を持っています。ただその逆に「体がまにあっていない」人がいるのなら、そのヒズミを正す、すなわち「歪体-わいたい-」を「正体-せいたい-」に戻していく必要があるということになります。そしてその戻す術(すべ)が名称として「操体法」となりました。
さらに言えば操体では筋・骨格系にのみ考えることをしません。先の4つの自己責任生活行為+環境、それらのどこがバランス感覚を無くしているのかを考えます。すなわち、間違った息づかいなのか、偏った飲食なのか、人体構造に反した動きをしているのか、後ろ向きな想い方をしているのか、環境との適応ができていないのか、等々となり、実際には息・食・動・想+環境のそれぞれが1、2冊の本になるほど大きなテーマとなります。さらに4つの自己責任生活行為はどれか1つが崩れると他も崩れ、逆に1つが正されると他も正されていくという「同時相関相補性」の関係にあり、我々が個人として一生をまにあう体で生きることとはまさに自己の責任の下においてのみ成され、己自身でしっかりと認識して生きていくことが大切であるということになります。ただ眉間にシワを寄せるような感じでいちいち意識して行為を成せということではありません。人間がヒトという動物である以上、そこには「原始感覚」が備わっています。ではその原始感覚とは何か、それは「快」を満たす行為となります。「命とは快に満たされている現象」であり、よって「快適感覚の聞き分け」をもって生きていけば自然の摂理に則した生き方ができ、一生をまにあう体で終えることができることとなります。
以上、なんとも「観念的」な内容になりましたが、操体とはそういう世界なのです。操体は別名「実践哲学」と言われます。その哲理は深遠なものがありますが、臨床で行われる「操法-そうほう-」はその哲理に則したひとつの身体をとおした現象でしかありません。快適感覚を通した「動き」、または「触れ」には定められた方法(テクニック)は無く、操者(操体では施術者を操者と言います)が主役とならず、本人(操体では患者の立場を本人と言います)自身が快適感覚を味わって心身を取り戻していきます。操者はあくまでも本人の快適感覚を高める補助者でしかありません。ただし日頃の経験により多少はヒトという動物の快適な動き、または整復の動きの方向を知っているだけです。よって操者が治したという発想を持ち得ません。「自療=自分自身で正し、戻す」世界が操体です。是非一度操体の世界を覗いてみてください。
青木 武(あおき たけし)
操体あおき癒養院 院長
操体ボディクリエーション 主宰
/////////////////////////////////////////
- 2005年08月04日 « |
- トップページ>
- | » 2012年11月26日